明日の会話のヒーロー

祝!キャプテン翼100巻到達!
キャプ翼の影響で小学校が混乱に!

キャプテン翼

ボールは友達!



今時の子でキャプテン翼は
知らないとしても
この名言は知っているかな?と思います。

日本にサッカーという競技はあっても
文化として定着していなかった状況を変え
日本中にサッカー小僧を生み出し
後のJリーグの礎を作った!と言っても
過言ではないといえるほどの
人気と影響を及ぼした漫画。

海外のサッカー選手も
愛読してる人は多く
日本人が海外移籍をすると
たいがいキャプテン翼の話を振られるとか。


そんなキャプテン翼が
ついに通算100巻目を発行。
偉業を祝してニュースとなっています。


キャプテン翼の歴史


さて、高橋陽一先生が
キャプテン翼を書きだしてから36年。

36年間ずっと描き続けていたのか?
といえば答えはNO。

「小・中学生編」
「ワールドユース編」

などなど
「~~編」仕立てで描いていき
合間に休みを入れていらっしゃいます。

休みというか「終了」という形を取って
続編を必ず描きます!という約束が
あったわけではないんですが
不死鳥のごとく舞い戻り
新たな「~~編」を描いてきました。


ちなみに私の記憶する限り
キャプテン翼を一度終えた後に
「野球漫画」「テニス漫画」
「ボクシング漫画」と
様々なスポーツ漫画に挑むものの
ほぼ短期で打ち切りの全滅。

よし!と。わかった!と。
サッカーがいいんだな!と
キャプ翼以外のサッカー漫画に挑戦するも
打ち切りアゲイン


そして先述したように
不死鳥のごとく舞い戻り
キャプテン翼を描き続けてきました。



キャプテン翼が少年に与えた影響


皆さんは子供の頃は漫画を
素直に読んでいませんでしたか?

私は純粋なる心の少年だったので
漫画やドラマの出来事は実現できると
信じて疑わない少年でした。

今は少ないですが
私が子供の頃は「西部警察」や
「太陽にほえろ」「あぶない刑事」など
いろんな意味で
振り切ってしまった

刑事・警察ドラマが再放送されていて
私は大まじめに

「警察になれば
気に入らないやつは
撃ち殺していい」


と信じていました。






(注※悪党ではなく警察です)





現代の警察・刑事ドラマは
犯人探しだったり
警察内の人間模様だったり
犯罪のトリックを暴いたり
ベイブリッジを封鎖したり
事件は会議室で起きているんじゃない。
現場で起きているんだ!

大声で叫んでみたり。

割と人間ありきのドラマであり
問答無用で射殺などの描写は
ほぼほぼありませんでした。


しかし私が子供の時の
刑事ドラマといえば
銃撃戦がメインの戦争物


警察署に武器庫があり
犯人の元へ戦いに行くときは
武器庫を蹴っ飛ばして
床に武器をぶちまけて
職員がみんな思い思いの武器を手に取る。

さあ、殴り込みだぜ!と
改造車に乗って向かうシーンがあったり
何もわからない子供が見ると
警察ドラマとヤクザ映画の違いが
一切わかりませんでした。


その中の一人が日本刀を選んで
帯刀して戦いに行き
バズーカ砲相手に日本刀で特攻して
それはさすがに無茶だろ!
突っ込んだ記憶もあります。


この上なく話が
脱線してしまいましたので

元に戻します。


子供とは純粋なるもの。
ゆえに漫画の情報を鵜呑みにして
それが正しい知識と覚えてしまう。




これがやばかった



キャプテン翼のキャラクターの中に
「日向小次郎」という
キャラクターがいます。





彼は小学4年の時に父を事故で無くし
一気にスーパー貧乏な母子家庭へと
墜落することになり
小学校6年生で新聞配達や
屋台の手伝いなどの
アルバイト稼業に精を出す事になります。

これだけ聞けば
勘の鋭い方はピンとくるでしょうが
貧乏魂=荒れ狂うスタイル
地で行く男の子であり

得意技は「強引なドリブル」







(蹴り飛ばしてるようにしか見えない)






現代っ子が見れば一発で
「それは反則だろう!」と
突っ込むところですが
私たちが子供の時はJリーグもなく
国際試合のテレビ放送もなく・・・
と、いうか
サッカー自体を子供以外がやるところを
見ることがなく
キャプテン翼かゲームが
サッカーの教科書となる時代。


キャプテン翼ではハンド以外の
反則の概念がなく
ゲームでも当然反則がない。


大真面目にイエローカード
レッドカードの存在は
Jリーグで知りました。



ゆえに私たちが子供の時はサッカーは
「格闘技」の
ジャンルに所属し

手と武器を使わなければ
あらゆる攻撃が認可される
血で血を洗うスポーツとなりました。


スネークの小学校サッカーの思い出


ここからは前提として
「私の小学校では」とつけて
話を進めていきます。

サッカーを休み時間に
やるようになったのが
たしか小学校2年生あたり。

最初は体育の授業で習って
それを休み時間にやるようになっただけ。

この頃はとにかくボールを蹴って
ゴールに入れるだけのお遊びで
まだ和気藹々と楽しんでました。



しかし私がたしか
小学校3年生に進級して持ち込んだ
キャプテン翼の単行本により
歴史が動く・・・・!



誰よりも早く
週刊少年ジャンプを毎週買い出し
キャプテン翼の単行本を
いち早くそろえた私は
クラスの男子によく貸していました。

これを読み込んだ我ら少年たちは
あっという間に感化され
「キャプ翼ではOKだった」を合言葉に
手を使わない肉弾戦へと変貌。


つい先日まで「ドリブルがうまい」が
サッカーの実力のパロメーターで
クラス1のドリブル力を誇り
スター選手だった須田君が
肉弾戦に弱く
一気にザコキャラへと墜落。




サッカーが流行り始めた当初は
全力で蹴る事しかできず
足元で微妙なタッチを繰り返す
サッカーが合わなくて
基本は「パスが回ってこない組」の
メンバーだった田中君が
「肉弾戦サッカーの申し子」となり
破竹の快進撃を始める。


田中君は少年わんぱく相撲で優勝した
やや小太り気味のパワー型。


パワー系しか活躍できず
50メートル走や縄跳び・幅跳びなど
運動神経という面では
クラスで下位を
這いつくばる無能
だったが
肉弾戦ではその才能が開花。


田中君はボールを蹴るのは苦手なので
パスが来たらまずボールを止めて
ゆっくり蹴りだし
敵が近づいてきたらボールを止めて
敵にぶちかまして地面に這わす。

その後またボールを蹴りだすという
「強引なドリブル」じゃなく
得意の相撲を生かした
「強引なぶちかまし」をマスター。

「田中君のぶちかましは
どうやっても止められない」と
とてもサッカーの誉め言葉とは思えない
賞賛をもらって台頭。


三国無双よろしく
虎牢関の戦いの呂布のように
田中君がボールを持ったら
「た・・たっ・・田中だ~!」と
ザコは散って逃げ
勇気と名のある武将のみが挑む
戦場スペクタクルサッカー。


前半は快調に吹き飛ばしまくるも
体当たりの連発は体力の消耗が激しく
また小太りデブで
スタミナもなかったので

大体5分もすれば動けなくなるという
弱点があったが、5分間はまさに無双。


スタミナが切れたら他のザコに任せて
自分は端っこに行って休み
復活したらまた無双という
やりたい放題スタイル。


まともに田中君の相手を
できるやつがいない!となって
当時、体だけは
クラスで一番でかかった私が
「体格がでかい!」というのと
「キャプ翼を持ち込んで
混乱を巻き起こした悪の元凶」
という理由で
無理やり担ぎ上げられて
田中君のライバル設定にされ
田中軍 対 スネ~ク軍で
毎昼休み時間ごとに
死闘を繰り広げることとなる。


ついに小学校で発動された
昼休みサッカー禁止令


ルールが日に日に
過激化の一途を辿る中
トドメとなるルールを
田中君が持ち込む。


「ボールを持ってないやつ同士も
体当たりしてるシーンがあった」と
経典であり絶対ルールブック
「キャプテン翼」のワンシーンを発見。

(たしかですけど、このシーンは
たまたまそう見えるワンカットを
田中君が強引に解釈して
突き進めてた記憶があります。)


これに一番影響を受けたのが
「本当は参加したくないけど
クラスで仲間外れにされるのが嫌」な
非暴力系グループの面々。


現代用語でいう「キョロ充達」である。

新ルール導入前までは
「ボールを持つと敵軍から
暴行の嵐が降り注ぐ」
ため
パスが来ても受けずに逃げ惑う
ことにより回避。


周りの仲間に逃げ惑う事を
怒られたら今度は
疲れててパスに気づかなかったフリ
回避という新技を編み出し
事なきを得てた非暴力系のグループにも
新ルール導入によって
逃げ場がなくなってしまう。


フィールド全てが戦場と化した
ウォーズ(戦争)サッカーは

ボールを持ってるときに
蹴られたやつが
ボールの事を忘れ
その場で蹴り返して反撃!など
ただのグループ抗争になり
けが人が続出。


とにかく田中軍に勝つためには
人材が必要!ということで
私は隣のクラスの
腕っぷしが強そうなやつを
片っ端からスカウトして加入させ
軍を拡大・強化をはかるも
田中君はそれはいかん!と
給食のデザートを賄賂に
私がスカウトした人材を
引き抜きにかかってくる


大人社会のマネーゲームさながらの
デザートの積み上げ
引き抜き合戦で
ウォーズサッカーの規模も拡大。


この軍備拡大がきっかけになり
ウォーズサッカーが終焉へ向かう・・・



私や田中君のような
最前線で戦ってたやつらは
しょっちゅうケガしてましたが
非暴力系グループまで
ケガをし始めた上に
私たちが引き抜きあって参戦してる
隣のクラスの助っ人たちもケガが多発。

あまりにも保健室が
大盛況になりすぎたので
怪しんだ担任の先生が
昼休みに覗きにきて
「ウォーズサッカー」を
目の当たりにする。


大人をして
「血の気が引いた」と
告白するほどの
壮絶なるウォーズサッカー。




当然「何やってんだ!」と止められ
こっぴどく怒られて
ついには「サッカー禁止令」が敷かれ
こうして「ウォーズサッカー」という名の
暴力の場は幕を閉じた。









が!新たな時代への
幕開けに過ぎなかった。


サッカーではなく
キャプテン翼をやろう


私たちがキャプテン翼ルールを
拡大解釈して履き違えた

ウォーズサッカーは禁止になった。

が、ボール遊びは禁止にならなかった。

ゆえに主流の遊びは
ドッジボールへと
シフトしていったのだが
ドッジボールが
あまり好きじゃなかった私は
最初はドリブルスターで
クラスの人気者になり
ウォーズサッカーでザコキャラになった
須田君にキャプテン翼ごっこを提案。

内容は「キャプテン翼にある
かっこいい技を再現しよう」

ドッジボールは苦手で勉強も苦手。
ドリブルしかできない須田君は
サッカーでもう一度人気を獲得するべく
キャプテン翼ごっこに乗ってくる。


最初は誰もが憧れるが
体操選手でもない限り
実現不可能な「オーバーヘッドキック」






(今見ると無理がありすぎる)



しかし子供でもわかるが
固い校庭の地面で敢行し、失敗したら
確実に首がイくという怖さに
恐れおののいた私と須田君は
場所を体育館に移し
ふわふわの分厚いマットを敷いて
その上で練習しよう!という方向にシフトする。

当時、私たちの小学校の体育館には
このフワフワマットが
一個しかない上に
毎時間取り合いのサバイバルで
やっと確保できたとしても
六年生の力業で
無理やり奪い取られる!
という
避けようがない問題があった。


ここで六年生の実力者に交渉して
一緒に練習しよう!と提案し
「これできたらかっこいいよな」と
6年生と言えど
所詮は毛の生え始めたガキゆえに

簡単に誘いに乗ってきて
6年生がいつも確保してくれ
楽々練習ができるようになる。



学校あげてのキャプ翼ブーム到来
そして禁止令アゲインへ・・・



6年生と遊ぶというのは
下の学年のやつらからしたら
一種のステータスであり
今でいえば
「小出恵介とヤっちゃった」くらい
自慢できることであった。

それゆえに 「俺も混ざりたい」と
我がクラスでの練習参加希望者が続出。

6年生の方にも参加者が増え
今度は学校をあげての
空前のキャプテン翼ブームが到来する。



先ほどのオーバーヘッドキック。




マットを壁に沿って置き
着地に安全を確保してからの
「秘技・三角飛び」



(何やってるかわからないかも?)






そしてテレビでも取り扱われ
我が校でも技真似ブームに
終焉を迎えさせた
罪深き技がこれ。




(スカイラブハリケーン!!)





ではなかった!!!


これは土台になるやつが
怖すぎると拒否しまくるのと
それを乗り越えて挑戦したものが
土台側が飛び乗る側に
100%踏みつぶされるという
驚異の失敗率を誇り
失敗組がたまたまケガなく終えたのと
あとに続くものが少なくて
問題にはならなかった。




が!だ。



6年生にて既に170センチほどあり
ガタイが飛びぬけて
でかかった工藤君。


彼は色気づいて
女子の視線が欲しかった。

6年生といえば異性を意識しだすころ。

当時、オーバーヘッドをうまくこなす
6年男子が人気があったが
スカイラブを達成したものはいなく
ここで成功させれば
俺はモテるはず!
という
下心のみの動機で工藤君は動き
挑戦する!と言い出した技がこれ。






(もう何がしたいのかわからない)







禁断の大技
スカイラブツインシュートである。


一人蹴とばすだけでも
成功者0だというのに
工藤君は土台になって
二人飛ばすと言い張る。


ガタイがでかく力がありそうな
工藤君ならできるかもしれない!
けどそれでできたとしても
人気が出るのは
蹴り飛ばされた二人の方じゃね?
思っていた。

現に原作の土台役である次藤君は
一切人気のないキャラクターで
飛んだ立花兄弟のほうが
人気は圧倒的であった。


もてたくて大事なことを
すっかり忘れてしまっている工藤君だが
ガタイのでかい6年生に
つっこむ勇気はなかった。


工藤君は「体重が軽い方が
飛ばしやすいだろう」という安易な理由で
私のクラスのヒョロヒョロ2トップを
飛び乗る役に指名。


あえていうまでもないだろうが
このヒョロガリ2トップは
完全なる文科系で
運動神経は信じられないほどに悪い。


一時期話題になった
「運動神経悪い芸人」に
もし芸人を志していたら
出れたほどに悪い。


「運動神経」という
大事な部分にも気づかず
「成功してもモテない」と
いうことにも気づかず
「やりたくない空気を出してるのに
無理やりやらす上級生」という
マイナス評価はちゃっかり確保し
現時点で
なんのメリットも見えない挑戦へ
立ち向かうことになった工藤君。


マットの上に寝転がって
「さあこい!」と意気込む工藤君。


ヒョロガリ2トップは
戸惑っていたが
「早くこい!」の脅しにビビリ
ついに二人が走り出し・・・・


そして飛んで・・・・・




飛び乗ったああああああ!!!!













(絶望の瞬間)








そもそも二人で同時に並行して走って
同じタイミングで飛び乗ることが
不可能であり
先に飛んだヒョロガリA君が
構えた足を飛び越して
顔面踏みつけミサイル一号機に。


続いたB君が
ボディ踏みつけミサイル2号機に。








工藤君は
前歯を折る大惨事になり

当然「何をやってたんだ!」と大問題に発展。


見ていた子供たちが、口をそろえて
「スカイラブが!スカイラブが!」と
訴え続けるので
「スカイラブって
なんじゃあああああ!」

関西弁の先生が
切れた記憶があります。



こうして前歯を折り
学生生活で二度と挽回することのできない
不名誉を飾った工藤君
のせいで
全校緊急集会が翌日に開かれ
最高責任者である校長先生が
「キャプテン翼のモノマネ禁止!」と
声高々に禁止令を公布し
こうしてキャプテン翼ブームも
終焉を迎えた。



キャプテン翼が与えた影響2


やっと話の本筋へ
戻ってこれました。



何が言いたかったのかというと
キャプテン翼はこれぐらい
日本のサッカーに影響を与えたんだよ!
っていうことを
伝えたかっただけなんです。

翼に憧れ影響を受けて
プロサッカー選手になった!と
公言してる人も多い。

これは凄く漫画がプラス作用に働き
日本サッカー界の発展に
多大なる貢献をした!というのは
紛れもない事実。


逆にキャプテン翼によって
学生生活に影を落とした不幸な者も
いたということをね・・・



知っていて欲しかった。



今じゃネットでいろんな知識が手に入り
子供でもすぐに調べられる時代。

ただおっさんの時代は
ネットなんてものはなく
当たり前だけど携帯もない。

テレビは子供に悪影響を及ぼしかねない
間違った知識を植え付けさせ
漫画で間違った知識を鵜呑みにして
学校を巻き込む騒動が
現に私のところで起こった。


工藤君にいたっては
その後の学校でのバカにされ具合
悲惨なものがあった。



工藤君は心の中で
「キャプ翼さえなかったら・・!」と
恨んだ時期もあっただろう。





もちろん完全なる逆恨みで
色ボケこいた自分が悪いんですが

高橋先生も罪作りな漫画を描いたなと。


でも多くの人の人生に
これほど影響を与える漫画は
今後も現れないだろうと。






高橋先生凄いぞ!と。




無理やりいい方向に話をまとめて
終わりにしたいと思います。




※おまけ編※

当時開発されてなくて
本当によかったと思う技


















この技に挑戦していたら
後ろから蹴り飛ばされて
キーパーの手に頭突きする役が
下手すりゃ死んでたかもしれないな
今、見ても背筋が凍ります。







私の時代にこの技がなくてよかった!

 

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